新世界のおやじ
横浜の大衆居酒屋で飲んでいると
一瞬で店内の空気が変わったのを感じた。
俺が座っている席の横にあるカウンター席に
腰掛けたおっさんは
明かりのない洞窟のように不気味な
歯が一本も生えていない口を動かしては
懸命にこちらに何かを訴えているのだけれど
歯がないのと見るからに泥酔しているのとで
何をいってるのか1つも分からなかった。
注文もせずに、席に座ってずっと一人で喚いているのを見かねて正義感のある男性店員が注文を促すと
ポケットからボロボロになった財布をとりだし、その中からシワシワの千円札を机に出して生ビールを注文した。
おっさんは店内に入った時から生ビールが運ばれてきてからもずっと1人で何かに対する憤りを訴えている。
口のつけられていない生ビールの泡は虚しくなくなっていき、同じように老人の訴えも誰の耳にも届くことなく虚しく空を舞ってどこかに消えていた。
これが大阪の新世界とか西成とかだったら
ありふれた光景なのかもしれないが
横浜の人達にそうした免疫と耐性はもちろんなく
この老人が好まざる客であることは
店員の表情からも明らかだった。
まぁまぁうるさいのだけれど、強制的に退店させるだけのボリュームではなく、1時間ほどかけて、おじいちゃんは生ビールを飲み干した。
ただの泥酔したおっさんなら面白がって話す大学生がいるのかもしれないが、何を言ってるのか1つも分からない老人の声は声として認識されることもなく、イヤホンからの音漏れのようにただの耳障りな音でしかなかった。
普通の人なら店を変えるとか店員に文句を言うのかもしれない。
俺と友人は思った。
かわいそうな老人だ。
無機質な音を発する老人は
飲み過ぎているからとか、適当に理由をつけて退店させられるわけでもなく、誰かに相手にしてもらえるわけでもなく、誰からも無視されていた。
この居酒屋で声にならない、目的地を持たない音を発し続けているのは店員や客も含めてこの老人だけだった。
かの有名な『神曲』でダンテはウェルギリウスに導かれて九圏を通り地獄を見る。
そこでは肉欲に尽くしたクレオパトラなどキリスト教の7つの大罪に反した者達が裁きを受け、もがき苦しむさまが描かれている。
俺の印象に残ったのは、天国にも受け入れられないが、神から地獄に送るほどでもないと判断された人間達だ。
彼らは地獄にもいけず、蜂やアブに刺されながらずっと逃げ回っている。顔は血まみれでそこから垂れて地面に落ちた血を更に別の虫が啜っている。
彼らは存在を完全に無視された人間なのだ。
人が1番耐えがたいものは無視されることだ。
自己顕示欲はそうした恐怖からくる。
俺は別に宗教家ではないし、無宗教だが
今俺がすべきことは、この人に愛を施すことなのだ。
人は皆、孤独に耐えられない。
映画「イントゥザワイルド」の主人公であるクリス・マッカンドレスは裕福な家に育ち、名門大学を出たあとで、私財を全て捨ててアラスカの荒野に向かう。
死の瀬戸際、彼は「幸せは共有する誰かがいないと成り立たない。」ということばを残す。
自分の人生を決めるのは誰かの助言や後押しではなく自分自身だから、1人の時間は絶対的に必要だと思う。
だから、付き合いじゃなく、群れることにはならないように気をつけている。
ただ愛は否定できない。
無期限で存在を誰からも無視されることに耐えられる人はいない。
こっぱずかしいけれど
誰かから愛をうけたら
自分も愛を与えなければならない。
なぜ、関西にいた時は会いたくても会えなかったのに今、横浜で新世界のおっさんを見ているのか。
この新世界のおっさんは当たり前だと愛の大切さを忘れていた自分に、神から遣わされたウェルギリウスなのかもしれない。
そう思った俺と友人は、この老人の叫びに耳を傾けた。
退店する老人はどこか嬉しそうだった。
1時間で聞き取れたのはタイガースとピッチャーの2つだけだった。