22歳の男の濁った目

汚れた目から世界を見てます。

性と幻想のストーリー

盆地にいた頃はうだるような暑さに嫌気がさし


あぁ、海辺で育った自分にやはり盆地は不向きだなぁと


噴き出す汗を拭いながら


環境問題が実相をもって迫って来ないことには


人類が必死に問題に向き合うこともないなんて


十分実相をもって迫ってきてるじゃないか


なんて考えていたのも今は懐かしい。


半袖半ズボン以外をメルカリに放出した俺には


このなんとも言えない神奈川の肌寒さに


どこか不安を覚える。


7月、夏、スイカ、海、水着。


こんなものがはなから誰かが儲ける為に創った虚構、幻想なんじゃないか。

いやまぁそれもそうだ。はなから幻想だ。


幻想といえば


性には幻想とストーリーが不可欠だろう。

(急にどうしたってね。)


異性に対する幻想。

愛への幻想。

行為そのものへの幻想。


我々はそれをアニメーション映画やAVから学ぶ。

いつしか現実と幻想の乖離に気づき、打ちひしがれる。


わりかし、自分はリアリストの部類だと思うのだけど幻想をこの年で捨て切っているかと言えばそうでもない。


現実を直視して生きるには人生は余りに長いし、若すぎる。


自分の人生に希望や目的を見いだしきれないと人生100年時代という言葉はまた別の意味を持って自分に迫ってくる。


絶望して、かといって破滅を選びきれない人間は若さという幻想を抱いて、その唯一の幻想をシワシワになって失うことが怖くて、ファッション的な破壊衝動と、快楽主義をもってタバコを吸って肺を燻し、酒で肝臓を焼く。



そもそも、若さなんて幻想だ。

残されてる時間が少しだけ長いに過ぎない。

その可能性を十分に生かすやつだけが、それを武器にする。


青春とは貧乏と暇をいかに過ごすかだと

三島由紀夫が言っていたが


その通りだと思う。


若いから偉いなんてこと一つもない。

特に男。

女の人の若さは間違いなく武器だ。

男の一部も。

並々ならぬ美の所有者を除けばの話だ。

美は古代ギリシャから知、正義と並ぶよいものとされてきた。


あぁ、はやくおじさんになりたい。カッコいいおじさん。

それともやっぱりカッコいいおじさんなんてのも子供が作り出した幻想なのかな。


でも幻想をはなから捨て切ると余りに人生ながい

それが幻想だったかどうかは幻想を追い求めたやつにしかわからないのだ。


話が脱線した。脱線というか乗る電車間違えたのに3駅くらい行ってから気づいた。



性と幻想についてだ。


とにかく皆、幻想を持つ。

俺のムスコはデカいとか

女は濡れてるとか

毎日洗ってるから臭くないとか


行為そのものが幻想を完全に満たしてくれるのはレアケースだ。


お互いがお互いの幻想を壊さないように気を遣う


だから別れ際に相手のことを本気で傷つけてやりたいなら


この幻想をぶち壊せばいい。


『あんたの小さすぎて、入ってんのか入ってないのか分からなかったわ』


とか


『おまえ毎日ちゃんと湯船浸かった方がいいよ』


とか

まぁそこらへん。


で、こうした幻想に基づいて人間は単なる行為を一編のストーリーに仕立て上げる。


それがロマンチックなものなのか破滅的なものなのか、猟奇的なものなのか差はあれど。


人間は動物と違って発情期ってのがない。


代謝によって体温が変化してムラムラするわけじゃない。

だからまぁ、単純な行為としての性は実相を帯びない。


道で知らない男女が出会い頭、おっ始めることもない。


だから、そこに幻想とか物語を付与して単なる行為を文化的な営みにまで高める。


この間、飛田新地に行くと粋なおじさんがいた。


飛田新地には二箇所くらい喫煙所があって、

そこに座って人間観察すると色んな男がいる。


だから週一で行って、観察する時期があった。


そのおじさんはスーツ姿で多分出張かなんかで関西に来ていたんだろうと思った。


ポケットから粉薬を出すと

ポパイの如く一気に口に入れて呑み込んだ。


あれがBCAAとかアミノ酸の類いじゃないことは

スポーツ選手じゃなくてもわかるが

多分、マムシとかスッポンとかが寄与してる粉だ


その後、おじさんが何をしたかというと


文庫本を読みだした。

確実にこれもゲーテとか夏目漱石の類ではない。

この国で官能小説というジャンルの需要がなくならないのは、こういうおじさんによるところが大きい。


料亭に入って、そこの看板娘と一目で恋に落ちる


そんな、ストーリーは幻想中の幻想。

世の中、本音と建前だ。


だが、確実にこのおじさんだけは幻想に、ストーリーに本気で自己を投影していた。

一目で恋に落ちにいこうとしていた。


こうした想像力を掻き立てるのに映像は不向きだ

だから本なんだ。


粋だなぁと思った。


同時に、このおじさんが朝カバンに官能小説を忍ばせ、仕事をしていたのを考えると感動した。


このおじさんは子供のウルトラマンごっこで、本気で怪獣役をできる父親なんだと思った。


それとは対照的なのがペロペロキャンディーをこれ見よがしに舐める男。

これは若い奴に多い。


若い奴が女の若さを買うこと自体が恥ずかしいのだから、もっとコソコソ舐めろ。

ヒロポン打つみたいにして。

路地裏で急いで舐めろ。


若さの本当の価値を知っているのは

いつだっておじさんだ。

それも幻想と現実の乖離を受け入れて

その中間を歩んできたおじさんだ。


幻想に溺れきった人間は

自分を客観視できずに

いつかその幻想の強要が破綻する。

で、女子高生に手を出す。


いつだって遊び上手は

アウフヘーベンおじさんなんだ。


こんなこと書いていたら日が昇って

暑くなってきた。


どうやら強ち、これに関しては幻想でもなかったのかな。

半袖半ズボンで全然いいや。