雨の中傘もささずに行く美学
雨だ。
表題にある 雨の中傘もささずに行く美学
ってのは確かなんかでRIPSLYMEのRYO-Zが言っていた(気がする)
もとになったのは多分ニーチェの
雨の中傘をささずに踊る人間がいてもいい。
自由とはそういうことだ。
という言葉なのじゃないかな。
まぁ、案の定、僕も今日傘をささなかった。
なんか生命の危機を感じるレベルの雨以外では
傘を使わない人間になってしまった。
この四年間で。
多分この先もそうだと思う。
前回は若さについて整理したから
今日は自分なりに老いについて整理してみたい。
以前、『人間という生き物』という
文化人類学的な本を読んだ。
老いを知や経験の蓄積と肯定的に捉えられるのは人間という生き物だけらしい。
他の動物はというと、生まれ落ちた瞬間は人と同じく弱いが若年期が1番いい。
狩りのための体力もある。
肯定的に捉えるのは今までの年功序列や人間達が作り出した極めて人間的な諸制度が前提にあるからなのだけれど。
でも、おじいちゃん、おばあちゃんになるのも楽しみっていう若者を見たことない。
むしろ老いに否定的で、50歳くらいには死にたいって言うロックンロール的な生き方を望む奴もいる。
なんでだろう。これは年取ると右脳の老いを左脳でカバーしなきゃとかそういう問題じゃない。
俺が思うに楽しそうな老人が少ないからだ。
パチンコに朝から並ぶおばあちゃん。
万引きするおばあちゃん。
高速道路を逆走するおじいちゃん。
看護師のお尻を触るおじいちゃん。
なんだか書くと後ろの2つは楽しそうだけど。
まぁいいや。
友達のおじいちゃんの家に行った時、部屋にたくさん絵画がかけてあった。
ほとんどが外国の街並みだった。
買ったやつか聞くと、退職後に外国を旅行しまくって自分で描いたという。
凄くカッコいいと思った。
正直、おじいちゃんなんてちんちん勃たないのにもう何が楽いんだろうと思ってた。
老人は沢山お金を持ってると言われる。
だから、その貯め込んだお金をどうにかしたいのが銀行とオレオレ詐欺だ。
老人まで続けられる釣りやゴルフといった趣味を持つには、若いうちからやっとかなきゃいけないと言われる。
でも、釣りをする時、堤防にいるおじいちゃんは楽しいかもしれないけど大体、僕からしたら暇つぶしという印象を受ける。
よく少年のような大人になりたい。
って言う人と会う。
遊び心を持ち続けたいということだと思う。
そう言って、ずっと飲み屋で馬鹿飲みばっかしてる人を見るとなんか言行不一致感が否めない。
ずっと同じ次元の遊びをしていても人間飽きる。
飽きない為には快楽や遊びのスケールを大きくしなきゃいけない。
その為に金がいる。金はその手段だ。
頑張って働いた分だけ、おじいちゃん達にはお金も時間もあるはずだ。
若者と同じ堤防じゃなく
お金を使って、外国いって船出してマヒマヒとかあぁいうの釣ったらいいんじゃないかと思う。
ビールちびちびやって1日テレビ見るんじゃなくて、貯金をもとに資産運用だけでオランダなりカナダに住んで一日中、大麻ふかせばいいんじゃないかと思う。
日本の狭い道路逆走しないで
アウトバーンかなんかいって200kmくらい出して入れ歯カタカタさせながら逆走すればいいんじゃないかと思う。
若い人と同じ次元の遊びや快楽を見ても、なんだかワクワクしない。
まぁ、人の生き方にとやかく言う権利はないから個人的な考えなのだけれどね。
FKKに行った時、素晴らしい老人と会った。
(なんで最近こんな風俗ルポみたいになってきてるんだか)
ビールっ腹のおじいちゃんはジャグジーに入って、有料のカクテルをガバガバ飲みながら一日中、イタリア人だかルーマニア人の女の子と話している。
でも、多分そこは多分おじいちゃんに日独の差はなくてちんちんは勃たないから一日中そういうお喋りだけをしてガンガン金を使って帰っていく。
それが1人じゃない。何人もそういう老人はいた
ワンピース実写化したら五老星こういう感じなんだろうなと思ってジロジロ見ていたら
俺が違う趣旨を持ってここに来てると思ったのかそういう趣味はないと言われた。
そん時はあんまり英語も喋れないし、言葉が出てこないから凄く必死感が出てかえってガチなやつみたいになってしまった。
悔しかった。
そういう趣味があると思われたことにじゃなく
金と時間の使い方のスケールの違いに悔しかった
僕の理想のおじいちゃんは
看護師のお尻を触ったり
構って欲しいから万引きするんじゃない。
旅行から帰ると小学生の孫がバーって走り寄ってくる。
「じいじ、お土産は?」
と聞かれて
じいじはこういうわけだ。
「グラム1000円だったからお前にも沢山買って帰ってきたぞ!それともこっちがいいか?でもお前まだ注射器持ってないよな?中学生になったらじいじが買ってやる」
そんなおじいちゃんがいても…嫌だな。