タイにて。⓵
川の価値を決めるのは何か。
その川が
生きている川なのか
死んだ川なのか
それを決定付けるのは水質ではない。
その川が恵みをもたらしているのか。
その恩恵を住む人は認識しているのか。
人々がその恩恵を忘却してしまえば
どれだけ透き通った川でも
それは死んだ川に他ならない。
早朝に関空を発って
タイには30日の昼過ぎについた。
想像通りの強い陽射しの洗礼を受けて
空港から50バーツで出ているA4のバスに乗り込み
一時間ほど揺られていると
目的地のカオサンの街に着いた。
カオサンは、ワットアルン寺院などが並ぶチャオプラヤー川沿いから歩いて15分ほどの場所に位置している。
チャオプラヤー川は372kmの長さを誇り、川幅も広く、川沿いにはグリルやBBQの店が立ち並び
日が昇っているうちは
釣りをしている現地の人や川沿いで楽しくお喋りをする高校生カップルがたくさん見受けられ
夜は電光装飾を張り巡らせ、大音量の洋楽を垂れ流すクルーズ船が往来する。
(川沿いのビュッフェ。カニやエビ、肉が食べ放題で300バーツ。肉は豚肉。
ローカルの人で埋め尽くされ、観光客の姿はなかった。ステージではバンドの生演奏や女性歌手が美しい歌声を披露していたがタイ語なので何もわからなかった。)
川は茶色く濁り、若干の悪臭がする。
水質は日本の田舎の河川と比べて最悪だ。
しかし、この川が私を含む多くの人間を魅了してやまないのは、釣りをしている人しかり、カップルしかり、そこに住む多くの人間の生活を豊かにしてくれているからだ。
川沿いに寺院や学校、高層マンション、市場が立ち並ぶ様子を見ると、いかに昔からこの川を中心として、その恩恵を受けて人々は暮らし、街が発展してきたかが分かる。
住む者が恩恵を忘れないからこそ、この川は有名であり続け、人々を魅了する生きた川であり続けているのだろう。
(川沿いのグリルをはじめ大量に出されるエビは
この川というより
バンコクから車で1時間ほどいった隣県などで
田んぼで養殖されているものだが。)
話をカオサンに戻そう。
カオサンはタイの文化や慣習を学ぶには
良い拠点とは言えないだろう。
この通りの両側は、ホテルと飲み屋ばかりで
そこを歩く人の大半は、大きなリュックを背負ったヤドカリのような、絵に描いたようなバックパッカーかバケーションを楽しみに来たヨーロッパ人だ。
入り口には観光客を捕まえようと
タクシーが何台も並び
道ではその運転手が必死に呼び込みをしている。
飲み屋のオープン席に座って通りを見ていると
目の潰れた老人が、配偶者と見られる老婆に
支えられながらアコーディオンを演奏していて
金をねだられたり
サソリやクモの串焼きやワニの姿焼きの押し売り
に声をかけられる。
それも1度や2度ではなく
30分前と同じ物売りが
記憶をなくしたのか
再び同じ商品を持って声をかけてきたりする。
サソリやクモをこの人達が普段食べていないこと
は焼き鳥の3倍の値段を要求してくるあたりからも分かる。
そういう物珍しいものに、旅行者が興味を持つことを彼らが知っているからに他ならない。
つまるところ、ここは異文化理解の地でなく、享楽の渦にある歓楽街ともいうべきところである。
夜には大半の飲み屋が道にまで椅子と机を広げ
日本のクラブ顔負けの大音量で洋楽を流し
酒に酔ったアングロサクソンは踊り狂う。
ホテルの屋上のプールも深夜まで同様のことを
行なっていて
よく眠りたい人間はなるべく地表に近い部屋をとることをオススメしたい。
至る所で洋楽が流れ、ヨーロッパ人達に埋め尽くされたプールや店にいると一体自分がどこの国に来たのかわからなくなってしまうほどだ。
道にはみ出した飲み屋、大音量の音楽、踊る客。
レディーボーイ(ニューハーフ)を始めとする
多くのタイ人の客引き。
その間を歩くたくさんの異国の旅行者。
ただでさえ広くはない道幅なのだから歩くのさえ苦労する。
私はこの光景の中に身を置いて昼間見た、あのチャオプラヤー川を思い出していた。
洋楽や大量の旅行者を見ると
征服と文化破壊の歴史を思い返す者がいるかもしれない。
しかし、カオサンで働く人々は上手くそれを利用して外貨など大量の恩恵を受けている。
川には流れがあるように
ここにいる人間は大半が旅行者なのだから
いずれは流れ着いて故郷に戻る。
シフトが終われば家に帰るタイ人の従業員も含めここに留まるものはいない。
ネオンに照らされる、通りの人の流れはまさしく享楽の川に他ならない。
厳格な禁欲主義者や信仰心に厚い宣教師でさえ
そこに身を置くものは留まらず
快楽の流れに逆らわず、身を預け川をせき止めてはならない。
川の生死与奪権を握っているのは
そこに暮らす人々なのだ。