神は死んだのか。
突然ですが
皆さんは神様って信じますか?
僕は2泊3日で一睡もせずに
交代で車を走らせて
男4人でお遍路さんを回った事があります。
その時、各寺でわたしは手を合わせて願いました。
「自分はどうでもいいので、家族や友人が健康に過ごせますように。」
神奈川に帰ってくると
待ってましたと言わんばかりに
祖父の容態が急激に悪化して
そのまま亡くなってしまいました。
僕は破天荒な祖父にずっと憧れていました。
銀行員の時、飲んだ帰り、間違えて東海道線の終電に乗ってしまい、最寄りの駅に停車しないと気づいて窓を開けて飛び降りて血まみれで帰宅した祖父。
バブル期の退職金を一銭も家族に入れずに、「お前らに渡すくらいなら女に使った方がましだ。」と本当に全部とかしてしまった祖父。
病院で臨終間際の弱り切った状態で、必死にノートを私に渡してくれて、中を見たら「ガキ大将あれこれ」という自らの武勇伝を書き集めたものだった祖父。
そして
自分なりに祖父に相応しい弔いをしようと通夜の直後に女王さまのお店に行き
どうしてほしいんだい?と聞かれ、もっと虐めてくださいと叫ばされて号泣して女王を狼狽させた僕。
全てがいい思い出です。
いや、いや、いや
こんな話したかったんじゃないです。失礼。
とにかく80箇所近く、祈った結果
クラウチングスタートで祖父が天国(ではないかな多分。)に全力疾走していったあの日から
神さまなんて信じちゃいなかった。
昔から受験とかで太宰府に行く親を
いやこんだけ勉強して最後神頼みって…
と白けた目で見ている自分だったし。
だけど、社会に身を置いてみると
同じことの繰り返しに、どこかから閉塞感がやってきて
奇跡的な何か。(チャトウィンの言葉を借りれば)
超越的な何かを見てみたくなるもんだ。
イエティやネッシーなどの幻獣。
アンテロープキャニオンやナイアガラの自然。
ジャングルブックのモーグリのモデルになったインドの狼に育てられたという少年。
云々。
科学的思考、ニヒリズム、現実主義。
どれだけの視座を高校や大学の学問形態の中から得ても、かえって神秘的な何かをこの目で見たいという気持ちは強くなるばかりだ。
人工的に作られたイルミネーションを眺めたり、護岸工事された浜辺に佇んでも、たまりにたまった閉塞感を束の間、発散させているに過ぎない。
何らかの超越的な存在による
(それが、ブッダなのかキリストなのかは分からないし個人的には誰でもいい。)
創造というものを信じざるを得ないような規模の壮大な景観をもってしかこの閉塞感を追いやることはできない。
神を信じるというのは
信仰どうこうじゃなく
何か超越的な存在を自分が信じるということだ。
戯曲や寺院や大聖堂は神を前提として、それを信仰する人間から生まれた、いわば神が人間の手を借りた間接的な芸術だが
無宗教の僕にも何らバックボーンを持たない人工物はこうした規模や荘厳さでは遠く及ばないことは分かる。
放送作家や脚本家の中にはギリシャ神話を読む人が結構いるというインタビューを見たことがある。
神話や啓典、戯曲には人が面白いと感じる物語の構成や流れが集約されているからだ。
古典を読むと思うのは人の悩みや興味の本質は古代ギリシャからさほど変わっていないという事。
文学も映画も、現代の事象を応用して飾り立てて、そうした型に当てはめることで多くの感動や共感を引き起こしていることが多い。
科学のない時代から人々は、自分の住むこの世界が如何にして創られたのか、考えを巡らせてきた。
そして壮大な物語を構築して、多くの賛同を得たものが信仰として今なお生き残っている。
文体の美しさ、起承転結などの物語の構成。
戯曲や啓典を読むと、一介の人間にしては想像力に富みすぎているという疑いを持つのは僕だけじゃないんじゃないだろうか。
あいも変わらず、不信心な僕は救済されたいとか質素倹約、慎ましく生きたいと思うことはなく
神がこの世界を6日で創造し、7日目に安息まれた。(安息日)
昔のイスラエル人は週6で働いていたという話を聞いて、週5で働き方改革って言ってんのにやはり信仰って凄いな、いや信仰なしで週5働くのが凄いのかとか考えていた。
ただ神の存在は信じる。
そういう非科学な、奇跡的な何かを五感を与えられて生きてるからには信じて、自然や文化的営みの中に見つけて、その目撃者となりたいのだ。
これを否定するのは合理主義的な人だと思うんだけど、皆、女の子とヤりたいだけでもちょっといい店いって夜景見て、壮大な前戯の前戯みたいなカッコつけはするよね。
そのロマンは持つのに、生き方のロマンを否定するのは無理があるんじゃないかな。
否定していいのは、一番安いし、ホテルまでの距離で酔い冷めたくないからって女の子とホテルの前でワンカップ大関飲むレベルの合理主義的な人だけです。
逆に生き方興味あるんで否定とかじゃなく、お話聞かせてください。