22歳の男の濁った目

汚れた目から世界を見てます。

very superstition.

Very surperstition.

まさに迷信だ。


で始まるスティービーワンダーのsuperstition

ばかり聴いている。


初めて飛び込み台からプールに飛び込む少年が

落ちても死なないよね?

と心配そうに何度も友達に尋ねるように。


僕はスティービーワンダーのsuperstition

を再生する。


全てが迷信だと、

全ての閉塞感をもたらす常識が、

全ての人の行動を縛り付ける第三者の目が、

全ての自分を構成してきた何かが、


迷信に過ぎないのではないかと自分に尋ねる。

そう信じたい自分の裏返しなのかもしれない。



多くの人は無駄を嫌う。

それは合理的な人が増えたからだ。

でもこれも迷信じゃないか?



テレビをつまらないというのは

自分の実利に結びつかない情報を高度化した文明国では取るに足らない情報として処理してしまうからだ。


カンブリア宮殿や、ビジネスサテライトを観るのは常に、何か成長していないと不安だからだ。


本や新聞を読むのも、筋トレをするのも

全て自己が停滞することへの恐れだ。


しかし、大局的な無駄を見ないようにして、見えやすい小さな無駄を消し去った先に何が待っているのか。


無駄を削いで行き着くのは文明の発達だ。

文化は一見無駄から生まれる。


文化とは、先人が灯した灯篭の火を消さぬように火を繋いできたものを言う。

火なんて非効率だからLEDにしましょうと、水を掛けた瞬間にその火はそこで途絶え、文化の灯篭は消え去るに違いない。



まぁ、こんな童貞じみた話をするのは

これから自分がするすべての無駄を肯定的に

捉えようとするからであり、

謂わば、迷信を疑う自分が、新たな迷信にすがるというパラドックスを抱えていることは火を見るより明らかだ。


とにかく関西空港発のアジア行きの航空券の方が成田や羽田のものより一万円安いと分かった私は、神戸のランチクルーズのお誘いを受けていることもあって関西に向かわなければならないが本当に

航空券を節約しておいて、新幹線やバスという移動手段に高額な金銭を払うのが馬鹿馬鹿しく思えて、片道600km、山2つの道筋を自転車で行く事を決意した。


とは言え、無駄がどうこう言ってもたかだか移動に3.4日もかけるのはやはり馬鹿馬鹿しく


これにはかけれて1日半だろうと思う。

1日半というと36時間な訳だが

これは時速20kmで走り続けて6時間休憩を挟める算段である。



たかしくんは家を時速10kmで出発しました。

12km離れたお菓子屋さんに着くのは何分後でしょう。

という問題を嫌になるほど中学受験でやらされた


俺はたかしくんじゃないから、時速20kmを守って不眠不休で走り続けるなんていう

映画のスピードや

エボルタ君みたいな

事はできやしないが、

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写真はエボルタくん。登りたくもない綱を命がけで登らされても文句1つ言わない姿には心を打たれる。



中学受験の時に問題を複雑化させるための

たかしくんは5km行ったところでひろしくんと会って30分話しました

とか

6kmの場所でたかしくんの自転車は壊れてしまい修理に45分かかりました

みたいな文章を見るたびに


おい、たかし。てめぇ、12kmくらいさっといけよ

と思っていた少年だったから

やはり600km先の関西にむけて神奈川県を出発するひろきくんは寝ることも立ち止まることもやはりできないのだろう。


僕の体験は、おそらく簡単になり過ぎて中学受験では難関中学の問題に出ないのだろうけれども

小学生とかで塾に入ったばかりの

算数が苦手な子の味方になることは間違いない。


これをアホらしいとか

はいはい。無駄。という貴方。

消費社会の中で、稼いだお金を使うことでしか自分の生活を彩れなくなったのならば、貴方の36時間には何の意味があろうか。

(お金の大切さを分かってないわけじゃありません。分かってなかったら新幹線でいくもん。)


隣の芝は青いという言葉が大嫌いだった。

隣の芝が本当にいい芝なのか

はたまた日光の関係でそう見えていただけなのか

それは芝に飛びついた奴にしかわからない。


隣の芝が青いってのは、自分の庭をほったらかしにしないように危惧した両親か、配偶者や芝の持ち主の資本家から言われるものであり、

本当に青かったかどうか語るのが許されるのは

やはり芝に飛びついた奴

経験した奴に限られるのである。